転生したら乙女ゲームの悪役令嬢で元チーム名とそっくりな婚約者がいます

 

 

 気が付いたら俺は見たこともない場所にいた。病院で寝ていた……いや、手術を受けていたはずだったのだが。もしかして、夢を見ているのか、それとも考えたくはないけど手術中に——
 華美に過ぎない調度品は一目で良いものだと解る。美しい織りのテーブルクロスに、眼前の繊細な作りのティーセット。淹れられている紅茶の香りも良い。
「……おい、聞いているのか。ユキムラ」
 よく知る声にはっとして視線を向けると、真田がいた。いや、真田にそっくりではあるが。
「え、サナダ?」
「なんだ、急に」
 真田にそっくりだが、真田ではない。だが俺は目の前の男をよく知っていた。
 妹に借りて病床でプレイしていた乙女ゲームのメインヒーローだ。
 このゲーム、主人公以外にも名前変更でき、ビジュアルもある程度変更できる仕様になっている。俺は面白がってもともと似ていた堅物王子の名前をサナダにして黒髪に変えてプレイしていた。
 そこでふと気付く。自分がドレスを着ていることに。
 いや、まって。もしかして。俺は自分の名前を他のキャラでも主人公でもなく他のキャラにしていた。まさか自分でつけた名前に引っ張られているというのなら。
 自分の髪に触れる。長い。少し持ち上げると見えるのは蒼っぽい縦ロール。間違いない。
「俺が……悪役令嬢……?」
 気が付いたら俺は乙女ゲームの悪役令嬢になっていた。
 

 このゲームのストーリーは決められた期間の中でヒーロー達との仲を深めるシンプルなものになっている。途中ちょっとしたミニゲームがある以外は選択肢を選ぶくらいしかすることがない、基本的にはキャラメイクがウリのゲームなのだ。
 他のキャラにはライバルは居ないが王子ルートにだけライバルキャラが設定されている。俺がそのライバルである、悪役令嬢だ。男だけど。
 悪役令嬢である俺は王子の婚約者で、婚約者に近づくヒロインをいびった結果、断罪される。断罪はごめんなので俺はヒロインに手出しはしないことを誓った……
 のだが。
「赤也。おまえはどうしてお茶も淹れられないのかな」
「ひいいいい! す、すんません〜〜〜!」
 ヒロインであるアカヤは俺の屋敷に行儀見習いに来た子爵家の令嬢(男だけど)で、関わりたくなくても関わってしまうことになったのだ。
 アカヤは見た目がモロに赤也だしちょっとドジっこ属性が追加されてるのは気になるものの可愛いことには可愛い。元々がかわいい後輩だからだ。
 しかし、本当に本当に本当に俺の世話とか礼儀作法全般が出来ない。だから見習いにきているのだろうがどうしようもないくらいダメダメなのだ。これでは俺は断罪ルートまっしぐらだ。処刑も島流しもごめんだ。流刑地でスローライフは悪くないかもしれないが、どちらかというと食べられる植物より観賞用の花を育てていたい。
 こうなると赤也に俺がしてやれることは一つしかない。
「行くよ、赤也」
 俺の言葉にアカヤは目を輝かせる。いびるのではなく指導なら問題ないだろう。
 俺たちはラケット(に似た何か)を手にした。
「赤也! 動きが悪いよ!」
「っわかってますよ!」
 そう、このゲームのミニゲーム要素とはテニスだ。だから妹もこのゲームを貸してくれたのだろう。打ち合うのはボールじゃなくて魔法の球だしラケットもそれ必要か?みたいな装飾がついていて微妙なものになっているが、ルールといい完全にテニスだ。ノックアウト勝ちができるがそれも現実のテニスとそう変わらないはずだ。そもそも赤也のテニスってそんな感じだったし。
 このゲームのエンディング直前、俺の断罪イベントがある舞踏会イベントで、ヒロインは色々な理由で攻略対象とテニスで戦うことになる。これは個別ルートに入っていないと起こらないイベントだ。どのキャラ相手でも勝っても負けてもハッピーエンドにはなるが、王子のルートだけは勝つと真エンディングとなる。そのエンディングだと俺は断罪されず、次期宰相の監視のもとだが生きることができる。次期宰相は柳なので悪くない。俺はそこを目指したい。そのためには赤也にはもっと強くなってもらわなくては。現実と一緒ではないだろうが、真田が赤也に負けるなど想像できない。
「ヒャーッヒャッヒャッ!」
 ところで、アレはヒロインとして大丈夫なんだろうか。楽しそうに笑ってるし、にこにこしていると表現できなくはないし、ぎりぎり可愛いヒロインなのだろうか。

 俺がこの世界に転生して3ヶ月が過ぎた。
 こんなに長い夢があるとは思えないし、やはり俺は死んだのだろう。ゆっくり受け入れるしかない。チームがどうなったのかはやはり気になるが。
 今日は真田が会いに来る日だ。
 婚約者であるためか真田はかなりの頻度で会いにくる。本物の真田ではないとわかっていてもなかなか嬉しいものだ。
「ユキムラ」
「やあ真田。今日も来てくれたんだね。苦労をかける」
「うむ」
 本当はもっと悪役令嬢ぽく話した方がいいのではないかと思うのだが、記憶が戻る前から二人きりの時は普通にしてほしいと言われたていた。
 俺たちはやはり4歳くらいの時に出会い、親同士によって婚約を交わされた。政略結婚であるがそれなりに仲良くしてきた。特に記憶が戻る前の俺は真田が大好きだったから今思えばかなり恥ずかしいほどに迫っていた。キスしてくれとごねて「そういうことは婚姻してからだ」と諭されたり、昼寝中のベッドに潜り込んだりかなり好き勝手していた。将来婚約破棄する相手にそんな真似をされて真田も困っただろう。
 真田の王子らしくかっちりとした服装は作りも良く、決して華やかではないが質実剛健といった雰囲気がよく似合っている。少々悔しいような気持ちになるが、格好良い。俺は悪役令嬢なので仕方ないとはいえ、ドレスである。どうあっても格好良くはならない。
「変わりないか」
「そうだね。赤也は今日も皿を割ったけど、テニスの腕は上げているよ」
 ヒロインの話を聞きたいだろうとそう言うと真田は不機嫌そうに顔を歪めた。
「お前はすぐにアカヤの話をするな……」
「だって可愛いやつだからね」
 お前に勝ってもらわないといけないし。
「……俺という婚約者がいるのに他の者に気を取られるな」
 真田の言葉の意味がわからなくて首を捻る。俺という婚約者がいるのに赤也を好きになって俺を断罪するのは真田のはずなのだ。
 真田の顔を見ると不安そうに眉根を寄せていて、幼い頃見た泣きそうな表情にも似て見えた。この世界にいる真田も他の奴には弱い姿を見せられないのだと悟る。真田が赤也を好きになるまでは俺が側にいるべきだろう。
「すまなかった、真田。俺にはお前だけだよ」
 親友に向ける言葉ではないはずなのにすんなり言葉が出て、自分で驚く。
「ゆ、幸村……」
 真田が顔を真っ赤にする。かわいい、なんて思ってしまった。そのことでとんでもないことに気がついて、俺の顔まで真っ赤になってしまう。
 俺が乙女ゲームなんてものを真面目にやっていたのも、ヒーローを真田似にしたのも、悪役令嬢に自分の名前をつけたのも、もしかして、真田のことが好きだったから……?
「もうどこにも行くな、幸村」
 真田が近付いてくる。婚約者とはいえ近過ぎないか?まあ俺淑女じゃなくて男だしいいのか?
 真田に肩をつかまれる。無骨な動作はまさしく真田だ。そう思うと心臓が痛いくらい鳴る。真田の顔が近付いてくる。いやいや昔はキスしてくれって迫ったかもしれないけど、今の俺はついさっき自分の気持ちを理解したところでいきなりキスとかまだ早……
「んぎゃ!」
 声と大きな音がして振り向くと赤也が床に倒れていた。その近くに柳もいる。
「すまない、続けてくれ」
 柳が冷静に言った。そういえば真田の従者として柳も来ていたのだった。赤也は掃除をしていたはずなのに何故ここにいるのかな。
「つ……続けられるかッ!」
 真田の怒号が響いた。

「赤也、真田のことどう思ってるんだ?」
「えー? 怖いっすよね、あの人。いやアンタほどじゃないッスけど……」
「は? 俺は優しいだろ」
 怖がっているということはまだルートに入っていないのだろうか。赤也は真田と柳くらいしか会ってないようだし、そろそろどっちかのルートに入っててもおかしくないのだが……俺が関わるイベントは赤也をいじめるイベントと最後の舞踏会くらいなんだよな。わかりやすくゲーム内イベントに立ち会えたら良かったんだけど。
 柳のルートなら俺は婚約破棄されないのだろうか。ヤナギルートになると俺は出てこないからわからない。真田と結婚はよくわからないけど、もしずっと真田といられたなら。
 本物の真田のことは置いていってしまったけど、この世界の真田とでも一緒にいられたならどんなに嬉しいだろう。
「柳のことはどう思ってるんだ?」
 一抹の望みをかけた俺の言葉に、赤也は渋い顔をした。
「……すげえひとだなとは思います」
 好感度が高そうには思えない微妙な反応だった。


 さて、その最後のイベントである舞踏会がもうすぐである。
 俺のドレスは真田から送られた濃いイエローのドレスである。挿し色は赤と黒。かつてのレギュラージャージみたいな色でなかなか良い。
 素材も良く、同じ色のストールを肩に羽織るとかなりしっくりきた。
 赤也のドレスは名前の通り赤い色で仕立てられている。可愛らしいデザインでかなり似合っている。結局ルートに入れたのかわからないので俺が贈った。赤也はとても喜んでいた。ゲームで誰の好感度も高くないとヒロインはメイド服で舞踏会に参加するのだ。しかしヒロインはメイド服で来るのは不敬だと言われ、舞踏会を追い出されてしまう。それがこのゲームのバッドエンドだ。バッドエンドは寂れた居酒屋みたいなところでヒロインがくだを巻くという変なエンディングで、俺は断罪されないかもしれないが赤也がそんなことになると悲しいのでできればバッドエンドは回避したい。たぶんメイド服でなければ大丈夫だろう。……赤也のことだから他に不敬な行動をする可能性はゼロじゃないが。
 俺は真田がエスコートしてくれるらしいが、赤也はどうするのだろう。
「俺のことは気にしないでください!」
 まあ、誰のルートにも入れなくてもバッドエンドだけ回避したらヒロインにデメリットはないからいいか……


 時間より早く真田が迎えに来た。真田も俺と同じ黄色のジュストコールだった。ゲーム画面では黒だったはずだが、誤差だろうか。レギュラージャージの色なので当然似合っている。
「真田、俺をエスコートしてくれるのかい?」
「当然だ。お前は俺の婚約者なのだからな」
 差し伸べられた手に掌を重ねる。まるで国技のようにテニスが扱われている世界なので当然テニス胼胝がある。きっとあの真田の手もこんな感じだったのかと思うと心臓がきゅうとなった。
 舞踏会の会場に入るとこれまであまり縁のなかったが見知った顔がたくさんある。丸井、ジャッカル、柳生、仁王。例えゲームでも彼らを設定しておいてよかった。ドレス姿で真田と手を繋いでるところを彼らに見られていると思うと気恥ずかしいが。悪役令嬢の設定上美人のはずなので問題はないはずだ。男だけど。
「ユキムラ、俺は個人的な挨拶があるからここで待っていてくれ。俺の婚約者に近付く不届き者などおらぬとは思うが気を付けろよ」
「ああ」
 そう思うなら一人にしないほうがいいんじゃないかと思うが、俺としても五感を奪えば良いし問題はない。いってらっしゃい、と軽く言って真田を見送る。
 すると、
「ぶ…ユキムラさーーーーんっ」
 という元気な声が遠くからぐんぐん近付いて来る。真っ赤なドレスの赤也だ。行儀指導には完全に失敗したが、指導の賜物か愛犬くらいの懐きぶりだった。
 しかし一つ忘れていた。赤也にはヒロイン補正でドジっ子属性がついてしまっているのだ。
 長いドレスの裾を踏んでつんのめった赤也を咄嗟に支えようとして、勢いあまって後に倒れ込んでしまった。
「す、すみません! 部長!」
「大丈夫。怪我はないかい?」
「はい!」
 俺の上に乗ったまま赤也は可愛い笑顔で答えてくれる。
 そこに二人の人影が近付いてきた。
「うわっ」
 俺は思わず声を上げてしまった。
「赤也……貴様……俺の幸村を押し倒すとは何事だ……そこへ直れ! 叩っ斬ってくれる!!」
 鬼の形相の真田だった。部活中でも早々見ない顔だ。完全にキレている。後ろの柳に助けを求めるが何故か柳も怒っているようだ。
 真田が叩き斬るといいながら手に取ったのはラケットだった。……ん?
「いいっすねェ! アンタとまたやれるなんて願ったりっすよ!」
 舞踏会でのテニス勝負は固定ルートでしか起こらないはずだ。知らない間に真田ルートに入っていたのか……? そのわりには不穏だが。
 シナリオ補正とかいうものがあるらしいし赤也が負けたら断罪かもしれない。
 赤也のことは鍛えたが……
「アカヤがサナダに勝てる確率、20%……」
 そうなんだよなあ。


 俺と柳の予想通り、赤也は善戦したものの負けてしまった。
 これは断罪ルートなのだろうか。……いや、そう簡単に断罪されてたまるか。
 赤也がダメなら俺が挑もう。
「真田、次は俺が相手だよ」
「! 幸村……?」
 真田相手にストールなど羽織っていられない。俺は脱ぎ捨てるとラケットを手に取った。真田と戦うのは久し振りだ。
「——蓮二、俺が真田に勝つ確率はどれくらいかな」
「…………80%だ、『精市』」
「心外だな。結構低いね」
 『蓮二』の言葉か俺の言葉か、真田は驚愕の表情を浮かべる。
 ヤナギの元になったキャラクターは%なんて言葉を使わなかった。柳は俺の知っている蓮二だった。俺を部長と呼ぶ赤也も薄々気付いていたが俺の知る赤也だ。
 真田。お前はどっちだ。
「さあ、始めよう」
 テニスで見極めてやろう。

 会場内がざわめいている。無理もない。最強のはずの王子に俺が勝ったのだから。
 真田の五感を奪ったあと、真田が黒色のオーラを身に纏う展開があったものの結局は俺の勝利だった。
「弦一郎はあのあとプロにもなったのだがな。精市も赤也と鍛えていた甲斐があったのか、どうやらデータの集め直しのようだ」
「部長! 俺ともやりましょうよ〜!」
「さっすが幸村くん!」
「容赦ありませんね!」
 皆も集まってきている。俺はその声援に笑顔で応えてから真田の元へ近付いた。膝をついている真田に手を差し伸べる。
「大丈夫? 見えるか?」
「…………本当に……幸村、なのだな……?」
 真田はまだぼんやりとしながら俺を見上げる。
「お前も真田……なんだね?」
 テニスを通して、俺たちはお互いがお互いの知る相手だということを理解した。途端ゲームキャラじゃなくて真田と手を繋いでたのかと気付き急に恥ずかしくなってしまった。
「ええと、あの、ごめんね……」
「俺こそ、何も知らぬと思ってお前を許嫁として扱って無理に結婚を迫って悪かった……いや、待て。俺と再会したときお前は何も解っていなかったではないか!」
「その頃は記憶が戻ってなかったんだよ。最近なんだよね、戻ったの」
「む……お前に限って騙していたということはないか……」
 真田は変わらず俺を信頼してくれているらしい。
 ところで、こちらは婚約破棄に怯えてたというのに真田の中では無理に結婚を迫っていたことになっているらしかった。このまま破棄されそうな流れだ。それは困る。処刑も島流しもないかもしれないけど、俺の希望とは違ってくる。
「すまなかった。勝者は幸村だ。お前の望む通りににしよう」
「真田は俺と結婚できなくてもいいってこと?」
「お前がこうして生きてくれているだけでも充分だ」
 真田が俺の頬に触れる。
 蓮二の言葉といい、やっぱり俺はあの時死んでしまったのだ。真田も皆も俺のいない時間を生きてきたんだ。
「精市、弦一郎はお前に操を立てて誰とも結婚も交際もせずに一生を終えたのだ」
「えっ? あのとき俺たち別に付き合ってなかったのに?」
「み、操を立てていたのではない! 幸村以外は考えられなかっただけだ! 元より幸村が生きていたとしても伝えるつもりもなかったのだ!」
 そこまで想われていたとは思わなかった。嬉しいような、ちょっと重いような……死んでしまったのが惜しいのは確かだ。
「重……」
「怖……」
「いやー一生童貞貫いたってのは立派だと思うぜ?」
 好き放題言われている。蓮二を睨むと「俺とて精市に再び会えて浮かれているのだ」とごまかされた。
「ほら、俺も童貞で死んでるから」
 励ましたつもりがみんな涙目になってしまった。おかしいな……
「ええと、真田。俺の希望を聞いてくれるんだよね?」
「……ああ」
「じゃあ……」

「みんな、動きが悪いよ!」
 俺が声を上げるとイエッサー!と元気な声が返ってくる。
 テニスの邪魔なので縦ロールは切り落として以前と同じ髪型になっている。勿論、テニスをするときはヘアバンドもつける。淑女にあるまじき髪型だが意外にも誰にも何も言われていない。よく考えたら赤也は元々ショートだしこの世界は髪型が自由なのかもしれない。皆は「やっぱり幸村はその髪型じゃないと」と喜んだ。
 赤也はヒロインなのに相変わらずテニスばっかりしている。赤也だから仕方ない。礼儀作法はもうとっくに諦めた。不敬だとか言われないように俺か真田か蓮二が付いておくしかない。

 あの後、俺は真田に希望を伝えた。
 皆でテニスがしたい。
 真田とテニスがしたい。
 婚約破棄はしたくない。
 その3つだ。
「俺はお前に懸想しているのだ。本当に良いのか? 婚姻してしまえばもう自制はきかんぞ」
 その言葉に俺は頷いた。
「俺だってお前に懸想してるよ」
 そう応えたときの真田の顔は、今まで見たどんな表情より可愛かったし、乙女ゲームの絵よりぐっと来た。
 ああ、俺は真田が好きだ。死んだのは悲しいけど、こうして転生して再び真田たちに出会えて良かった。
「あーあ、はやく結婚してお前の童貞もらいたいな」
「なっ……! そ、そういうことを言うな!」