夢をみていた。
これが夢だとわかるのは、もう5年は会っていない友人が高校生の頃の姿で出てきているからだ。尤も、友人であったのはこの時点までで、4歳の頃から培ってきた友情は他ならぬ自分の手で打ち砕いてしまったのだが。あの時、おのれの気持ちを告げたりしなければ今も共にいられたのかもしれない。だが、無理だった。あのまま抑え続けるのは。
「すまない真田。おまえの気持ちには応えられない」
あの日、十年以上続いた友情は、俺の恋とともに終わったのだ。
は、と己の呼吸で目が覚めた。
じっとりと厭な汗をかいている。夢見のせいか、それとも。俺は己が左腕に視線を落とす。ちょっとした事故で負傷した左腕は漸くギプスが外されリハビリも行えるようになった。試合に出られるようになるのはまだ先のことだろう。利き腕ではないとはいえ、日常生活に支障があったため今は実家に厄介になっていた。兄夫婦に迷惑もかかるだろうとギプスが外れた今早く出て行きたい気持ちはあるが厳しくも意外に過保護なところがある祖父からの許しが出ず家事手伝いをしているのだった。家事というのは細やかな作業も多くなかなか良いリハビリになるのだ。最初はおぼつかなかったものの今となっては洗濯物を畳むことに関しては一家言持っている。
とはいえこうしていつまでも世話になるだけというのは性に合わない。テニスの世界に戻る許可は得られなかったが重労働ではない仕事であれば就いても良いということになった。尤も世界ランキングに身を連ねる身である。仕事は選ばなくては無駄に混乱を呼ぶことになる。引退かなどと騒がれるのも面倒であった。
こういう時に俺が頼るのは一人しかいない。俺はすぐに蓮二へと連絡を取った。蓮二は二つ返事で請け負って俺の仕事を探してくれた。
蓮二が見付けてくれた仕事はハウスキーパーだった。相手は家に休養中のプロテニスプレイヤーが来ても驚かないような人であるらしい。俺も洗濯物畳みには自信がある身である。有り難くその仕事を引き受けた。
初の出勤日は生憎の曇り空であったが晴れ晴れしい気持ちで仕事場へ向かった。相手の家は懐かしい、立海大附属の近くに新しくできた高級マンションだった。有名人が別荘として買ったりしてるらしいよと中学生になった左助くんが教えてくれた。俺を見ても驚かない相手ということは芸能人なのかもしれない。
マンションのベルを鳴らすと「こんしぇるじゅ」なる御仁が迎え入れてくれた。俺の身分を確認した後、「伺っております」とエレベーターまで案内してくれる。
エレベーターはガラス張りになっており、かつて毎日見ていた懐かしい海が見えた。初めて今日が曇り空であることを惜しく思った。
エレベーターは中層である八階で停まった。指定された部屋のベルを改めて押す。表札はない。不用心にもすぐに扉は開かれた。こういうマンションであれば犯罪の心配はあまりないのかもしれないがあまりにも不用心すぎる。けしからん、と思いながら家主の顔を見て。俺の頭は真っ白になった。
「やあ、今日はよろしく」
癖のある深い青味掛かった黒髪。一見穏やかそうで、線の細そうな美男子。しかし、実際はその体躯は鍛え抜かれており、ひとたびコートに立てば苛烈で、鮮烈で、凄絶で。鬼神のような強さを持つことを知っていた。
「ゆ、きむら……?」
「久し振りだね、真田」
蓮二め! 俺は心の中で舌打ちした。元々知り合いで、本人も同じくプロテニスプレイヤーであるならそれは俺が訪れたとしても驚かないだろう。
五年ぶりに再会した、俺の終わってしまった初恋の相手はそんなことはなかったかのように、まるで本当に親しい友人に久し振りに会えたかのように微笑んだ。
「あれ。せっかく制服を用意したのに着てくれないのかい?」
「制服だと?」
思うところがあるがさっそく掃除を始めた俺に、幸村が話しかけてくる。俺は気まずさを感じているというのに幸村は何も感じていないようで。未だ想いを昇華できていない俺だけがあの時間に取り残されているようだ。……もしかして、蓮二は俺にけじめをつけさせるつもりなのだろうか。
「これだよこれ」
考え込む俺をよそに幸村はその制服とやらを手に取った。それはメイド服、と呼ばれるものだった。それは確かにそこに置いてあった、が、まさか制服とは思わなかったものだ。幸村はこういうものを着る女が好みなのかと思ったくらいでそれ以上の感情を持たなかったものをぐいぐいと押し付けられている。
「き、着るわけがないだろうが!」
「まあ、だよなあ。せっかく買ったけどこれはしまっておこう」
気が向いたら言ってくれ、と言って幸村はふらりと部屋の奥へ消えた。完全に揶揄われているが避けられるよりはマシだろう。俺は真剣に掃除に取り掛かった。
幸村の部屋は一見整っているが物がないだけで埃が溜まっていたり手が行き届いていない。なぜこんな広い家に住もうと思ったのか。
「……未練がましい」
共に暮らすような恋人がいてもいなくても俺には関係ないのだ。
「……はー」
俺は一人部屋に篭ってベッドに横になっていた。
真田にはこの部屋には入らないように伝えている。見られたら困るものがたくさんある。
二人で写ってる写真を飾っているのを見られたら言い訳できないだろう。
——足枷になりたくなかった。当時の真田にとって俺と付き合うことに利があるとは思えなかった。俺の考え通り、真田は俺と道を違えてからより強くなった。
真田に告白されたあの日、俺は俺の恋を封印することにしたのだ。
「だけどもう時効だと思うんだよなあ」
恋を終わらせた真田はもう俺をなんとも思ってないだろうけど、恋を封印しただけの俺はまだ想いを燻らせている。こんな二人で住めるようなマンションを買ってしまったのも未練でしかない。
「少しの間だけでもそばにいさせてくれ……」
とりあえずこのメイド服を着て出て行ってみたらどんなリアクションが見られるだろう。