「それで? 真田がなんだって?」
「ひ……ッ」
幸村は笑顔だった。
にも関わらずその笑顔を向けられた赤也はひゅっと息を止まらせて身を震わせている。
食事時を外した夕方のハンバーガーショップは人もまばらで急かされそうな雰囲気もない。少し離れたところにノートパソコンで仕事をしているらしいスーツの男性がいる。しっかり食事を摂っているらしいところを見ると今昼なのかもしれない。
「もう一回言ってごらん」
「あの、おれ、その……」
「赤也」
圧力。そして圧力。赤也がカレーだったら一瞬で牛すじまでとろとろになっているだろう。赤也は幸村の傍に立つ頼りになる先輩、柳に視線を向ける。
しかしこの先輩は赤也贔屓ではあるものの幸村、そして真田に対して並々ならぬ感情を抱いているのだ。こういう状況では味方になってくれそうになかった。
赤也は観念して口を開く。
「そのォ……真田副部長って彼女作らないじゃないですか……? だから、スマホにマッチングアプリを……入れ……ました……………」
最後には消え入りそうな声でそう言った。
普段穏やかな幸村が試合中、それもあの何年も前の全国大会のときに見せたような険しい眼光になっている。平然と返すのはとてもじゃないけど難しい。しかし赤也には幸村のこの圧の理由がわからない。なんで怒ってるんですかと訊いたらべつに怒ってないよと返されてしまうことは今までの経験から知っていた。いや絶対怒ってる。それは赤也でもわかる。
「だ、だって副部長、カワイソーじゃないですか! 彼女作ったことないってことはドーテーなんでしょ!」
「婚前交渉なんて真田がするわけないだろ!」
「だから婚活用のマッチングアプリなんじゃないですか!」
赤也が正論だと!?
うっと言葉に詰まる幸村を他所に柳は目を見開いて心のノートに赤也の成長を記していた。可哀想なのは決して小さくない声で童貞がどうのと言われているここにはいない人物と会話が耳に届いたかもしれないスーツの男性だろう。
「ま、まあ副部長にその気がなけりゃ何もしないだろうしいいじゃないっスか!」
「本当に興味がないならアプリすら入れさせるわけないだろう!」
幸村がぐぬぬ、と下唇を噛む。その頭の中ではもう真田が見知らぬ誰かとゴールインしている。幸村の中では真田は格好良くてめちゃくちゃモテるがストイックゆえに恋人を作っていないことになっている。真偽はともかく幸村がそうといえばそうなので誰も否定しない。
ふう、と息を吐いた幸村はおもむろに自分のスマホをテーブルへ置いた。そしてスッと赤也の方へ寄せる。困惑する赤也に幸村はにっこりときれいな笑顔を向ける。
「赤也、同じアプリを俺にも入れてくれ」
「えっ」
「精市、加工アプリなら任せてくれ。仁王がきて化粧を施す手筈になっている。それを俺が最高の美女に加工してみせよう」
赤也の顔がどんどん青くなってゆく。
副部長、スンマセン。
この人たち、どうやらきょーぼー?してアンタをオトすつもりらしいっす。
仁王と柳生が協力して施したメイク、柳の姉による衣装協力、丸井と半ば強引に連れてこられたジャッカルによる審査を経て完璧美少女写真を撮ることに成功した幸村はプロフィールを設定してゆく。
さすがにファーストフード店では化粧や着替えなどはできないので場所は柳の家である。苦労かけました、スーツの人。
趣味や特技はかけ離れたものだとボロが出るからガーデニング、美術館巡り、それに料理。卵焼きは得意だから嘘は言っていない。流石に職業欄にテニスプレイヤーとは書けないから商社勤めと書く。
真田も同様に営業になっている。赤也は面白がって設定したに違いないが幸村は「真田が営業にきたら何も見ずに契約書にサインしちゃうな」と思っていた。顔に出ないのでそれに気付いているのは親友である柳だけだった。なぜなら柳も契約書を読まずにサインをしてしまうし幸村の商社の株を買うに違いないからだ。
あらかたのプロフを決めてアプリを開始した途端、イイネが付きメッセージが届き始めるが全て無視して探し出した真田にメッセージを送る。
「真田は絶対むっつりだから『ちょっぴりエッチですハート』って書こうぜい」
「少々ムッツリの気があるのは間違いないでしょうが好みのタイプはそういう感じではないでしょう」
わいわいと面白がる元立海レギュラーたち。真田をイジる時柳生が妙にイキイキするのは気のせいだろうか。その柳生が少々聞き捨てならないことを言っていた。
「待って、柳生、真田の好きなタイプ知ってるの?」
焦ったような幸村の言葉に柳生はウッと言葉を詰まらせ丸井とジャッカルが不自然に目を反らした。仁王は相変わらず飄々としている。
「気付いていないのは精市と赤也だけだろうな。ただ言葉で説明するのは難しいんだ」
なんだかんだ真田に懐いているため行く末をはらはらと見守っていた赤也は突然自分の名前を出されて「いいいいっ!?」と悲鳴を上げた。
「心配しなくともこの精市は弦一郎の好みのど真ん中だ」
そう言い切られてしまい引き下がるしかなくなった。赤也は「確かにカワイイけど結構幸村部長のままじゃないっスか?」と言ってしまい仁王に口を塞がれている。つまりそういうことなのだが軽く十五年は自分の一方的な片想いだと思い込んできた幸村が気付けるはずもないのだ。
「それじゃ、送るよ……?」
ごくり、と緊張で咽喉を鳴らしたのは誰か。
文面は極めてシンプルだ。
初めまして。ユキと言います。素敵な人だなと思っていいねさせていただきました。よかったらお話ししませんか?
ほぼ定型文である。相談の上、確実に女慣れしてない真田を警戒させないならこれくらいがちょうどいいだろうということになった。このあとは返信を待つだけなのだが意外にもすんなりと解散の運びになる。面白がって返信を見たいと言いそうなものなのに。そう思う幸村であったが「それはちょっと野暮じゃき」と一番面白がりそうな仁王に言われ一番ごねそうな柳生にウンウン頷かれては納得せざるを得ない。
皆が帰り、柳の家でメイクを落とし着替えを済ませた頃、通知があった。
『連絡を貰い嬉しく思う。話すだけで良いなら相手になろう』
シンプル。それにマッチングアプリで「話すだけなら」って前置きするとかヤる気もといやる気が感じられない。どういうつもりなんだ。ちょっと相手を褒めようとか思わないのか。幸村はその方が都合がいいにも関わらず憤る。柳にも返信を見せるが柳はどこか嬉しそうに笑った。
「いいじゃないか。この調子なら他の相手からメッセージが来たとしても続かないだろう。ゆっくり精市がユキとして仲良くなればいい」
それもそうか。幸村は諭されて納得した。
真田と「ユキ」はその後もメッセージ交換を繰り返していた。最初は幸村が一方的に送るばかりであったが、だんだん慣れてきたのか真田から話題が振られることも増えた。
夜ベッドでごろごろしながら真田とメッセージ交換するのがこのところの幸村の楽しみになっている。普段からこんなにやり取りすることがないから単純にたのしい。
『ユキさんはガーデニングが趣味なのだな』
「はい。この手で綺麗に育てられると嬉しくて。一郎さんはお花とかどう思いますか?」
『たんぽぽやチューリップくらいならわかるが、いくら教わっても覚えられくてな。綺麗なことはわかる。あとハーブの入ったクッキーやケーキは食べたことがあるがなかなか美味かった。』
……俺とのことを女の子との会話のダシにするなんて。幸村の内にふつふつと何かが湧き上がる。
ちょっと困らせてやろう。幸村はスマホを睨みつけるようにして文面を考え、指を走らせた。
「もしかして元カノさんとかですか? 一郎さんすごくモテそう」
『いや。そうなら良かったが。俺はモテたことは一度もない。幼馴染はかなり人気があったがな』
待て。良かったはどこにかかる言葉だ? なんでこの会話で急に幼馴染が出てくるんだ? もしかして気付かれてるのか?
多分俺のことだよな、と困らせるつもりが逆に困らされてしまった幸村は返信の言葉を考える。たとえばその幼馴染が好きだったのかと聞いて否定されたら死ぬ。そうだったら良かったがモテたらじゃなくて元カノにかかってた場合、それが幸村以外のガーデニングが趣味の誰かだったとしても死ぬ。
十五年以上の片想いはひとを臆病にさせる。
「一郎さんの好きになるひとってどんな人なんだろう。私を好きになってくれたら嬉しいな」
精一杯自分が傷つかないようにしたメッセージのつもりだった。
『申し訳ないがずっと好きな相手がいる。このあぷりに登録したのも未練を断ち切るためだ。とてもできそうにないが。』
なんで婚活アプリでそういうこと言っちゃうんだ。
幸村が返信を躊躇っていると珍しく続けてメッセージが届く。
『あなたは好きな相手に少し似ているのだ。あなたと居れば俺はずっと好きな相手の影を追い続けるだろう。あなたは恋愛、あるいは結婚相手を探しているのだろうが俺では務まらない。だからもう終わりにしよう』
これはもしかして。フラれたのではないだろうか。もしかしなくても「俺には無理」「終わりにしよう」はお断りの言葉だ。
幸村精市としてではないとは言え、真田にふられてしまった。それもちゃんと告白もできずに。せめて遠回しじゃなくてちゃんと伝えればよかったのに。そう思うと幸村の視界が次第に霞んできた。悲しい、そして少し、腹立たしい。
告白くらい、させてくれてもいいじゃないか。
「馬鹿」
最後のメッセージを送る。
返ってきたのはアプリのメッセージ音ではなく着信音だった。
なんで。反射的に電話に出てしまい、慌てて涙を拭う。
「——真田? どうしたの?」
『いや……』
少し鼻声だが誤魔化せるはずだ。通話先の真田はいつもと違って歯切れが悪い。
「真田……?」
『すまん、寝ていたか?』
「ううん」
時計を見るとまだ十時前だった。真田は寝る時間だが良い子も比較的まだ起きている時間だ。
「どうかしたの?」
『幸村、その、俺たちは親友だよな?』
「は……?」
急になんだ。自分をフった相手から更に親友だと念押しされるなんてどんな拷問だ。もしかしてユキが幸村だと気が付いていて念押しでフるつもりなのか。
『幸村……?』
「……馬鹿。真田の馬鹿」
『な……っ、』
せっかく拭った涙がまた溢れてきた。いっそちゃんとフラれたい。少々やけになっているのは否めない。
『幸村、泣いているのか……? なにがあった?』
「お前にフラれたんだ」
『は?』
「女の子のフリしてもダメならもうどうしようも無いじゃないか。さっさと好きな相手に告白してくっついちゃいなよ。お前に告白されて嫌だって子はいないよ。居たとしたらその子の趣味が悪いんだからもうやめておけばいいだろ」
『……』
通話口の真田が黙る。何か考えるみたいに。
しばらくの沈黙のあと、ようやく真田が口を開いた。
『前言を撤回したい』
「……なに?」
『お前にそっくりな女をお前の代わりにするのは失礼だと思って別れを告げた。お前への想いはどうしても断ち切れそうにないが、ずるいとは思うが、騙すようでも一生お前の傍に居たかった。幸村、好きだ。親友としてではなく恋人としてお前の隣にいたい』
は、と幸村の気管が鳴る。涙は引っ込んだ。
『返事だが、俺に告白されて嫌な者は居ないのだろう?』
にやりと。きっとあの不敵な笑みでいるのに違いなかった。
その日、すぐに二人のスマホからは件のアプリが消された。
約十五年越しの両片想いは解消され、柳は赤飯を炊き、仁王と柳生は面白がって真田を煽て、丸井とジャッカルは心の底から幸村を祝福した。赤也だけが全然気付かなかったと驚いていた。
今はもうあのアプリに関するものは残っていない。ということになっているが真田のスマホには柳からこっそりデータを回してもらった完璧美少女な幸村の写真データが残っているのだった。