Hateの女王

 

「ふふ、あは、あはははっ」
異様な光景だった。
ひれ伏すように倒れる人々、その中心で笑う男が一人。
微笑みというには猛々しく、哄笑と呼ぶには弱々しい。男もまた、立っているのがやっとだというのにそれでも君臨、否、降臨しているかのように両の足でそこに立っていた。
発情期(ヒート)。αもβも、Ωである自分を脅かすはずの者たちを狂わすフェロモンを撒き散らしながら、幸村は悠然とそこに立っている。Ωが生態的に不利だと言った愚か者は誰であるか。幸村はそのフェロモンですべてを支配していた。コロニーの奥深く護られる女王蟻のように、何人も幸村に触れることは叶わない。王様であっても王子様であっても、きっと幸村の前ではひれ伏すしかない。
唯一人を除いて。
「幸村」
その声に幸村の笑い声が止まる。
「……来たんだ」
振り返った幸村の前に立つ真田は泰然としている。場を支配する強烈なあまい甘い香りにも僅かに顔を顰めるだけ。
真田はαであるにも関わらず、幸村のフェロモンを物ともせずそこに立っている。それまで楽しげにしていた幸村が鼻白む。つまらなそうな視線を向けられても真田は意に介さず幸村の首筋へと手を伸ばす。Ωにとって重要な場所であるにも関わらず無防備に晒されているそこに、真田は慣れた調子でチョーカーを着ける。
「帰るぞ」
幸村が頷くのも待たず、真田は幸村の決して小柄ではない肢体を軽々と横抱きにする。幸村は抵抗せずそのまま真田へと身を寄せた。αの香りを嗅いだせいで幸村が更に芳香を放つ。それでも真田が平然としているのを見て、幸村は内心で舌打ちした。
幸村が手に入れたいのはたった一人なのに、そのただ一人にフェロモンが効果を持たない。その事実はいつも幸村を打ちのめす。

幸村をベッドに寝かせて、真田は深く息を吐いた。気合だけで立っていた幸村は熱っぽい息を吐きながら真田のベッドで丸くなった。
幸村は勘違いしているようだが、フェロモンは効いていないわけではない。
ただ他の者とは違って自我と身体の自由を保っていられるだけである。
出会ってすぐのまだ第二性に目覚める前。幼い真田は強い衝動に襲われて幸村の頸に噛み付いた。
両親と祖父にしこたま絞られて、幸村の家に散々謝って、まだなんの影響もないだろうからと許され今も傍にいることを認められている。幸村はそのことをすっかり忘れているようだが。
きっとその時に、耐性ができたのだと真田は考えている。
そして、あの時の強い衝動はきっと「運命」であるからなのだと。
頬に触れると幸村は僅かに目を開き、真田を見る。求めるような視線を向けられ、真田はさりげなく目を逸らした。
幸村がΩでなければすぐに自分の気持ちを伝えただろう。幸村が己の性を疎み、フェロモンに誘われて暴挙に及ぼうとする愚かなαを蔑んでいるのは明白で、αやβを屈服させることで仄暗い優越感を抱いていることは解っている。
だからこそ、耐性のある真田だけは欲に流されてはならないのだ。