朝ぶりに運命と出会う

 

 騙された。足を踏み入れた瞬間気が付いた。仲間内での飲み会と聞いていたのに、騒がしいチェーンの居酒屋のテーブル席に並んで座っている友人の、その前に同年代と思わしき女子が数名座っている。これは多分、合コンというやつだ。以前も騙されて参加させられたことがあったというのに迂闊だった。

 家で待っているはずの恋人に何と説明したものかと思うと気が滅入る。あの恋人は俺がそれなりに人気があるのが嬉しいらしく平気でどれくらいモテたかだとか「一人や二人お持ち帰りしたか?」などと聞いてくるのだ。それが面倒でこういう場は避けているのに。そもそも俺はその面倒な恋人以外に興味がないのだ。

「おっ、来たな真田! こっち座れよ!」

 大学で知り合った友人であり、この飲み会に誘った張本人である津久野が暢気に手招きしている。俺は諦めてそちらへ赴く。津久野は気の良いやつだが少々お節介が過ぎる。テニスで忙しくしている俺に普通の大学生らしいことをさせようという厚意からくるものなのはわかっているが、こういった色恋めいたものは困る。

 ここは恋人がいることを正直に話して早く切り上げて帰ろう。そう思って席について。俺は固まった。

 目の前に座る相手が視界に入ったからだ。

 美しいひとだった。

 すっきりとした顔立ちにすらりとした長身。大きいが切長の瞳は穏やかな光を湛えている。女性にしては広い肩幅も長身と合わさればモデルのような凛々しさである。緩く波打つ長い髪は凛々しさの中にある可憐さを引き立たせておりとてもよく似合っている。

 端的に言えば俺の好みの中心を射抜いていた。

 より端的に言えばこれはもう間違いなく幸村だった。

 そう、俺の恋人である幸村だ。幸村が女の格好をして女達と並んでいる。美しい容貌と男にしては高めの声、それに幸村の持つ独特のオーラのようなものによって長身としっかりと鍛えられた体躯すらそういうスタイルの女性なのだとこちらに誤認させている。もしかしたら洗練された立ち居振る舞いによってこちらの五感がどうかしているというのもあるのかもしれない。

「そんなに見つめてどうかしましたか?」

 ふわりと花のように微笑んで幸村が言った。どうやら他人のフリを貫くつもりらしい。

「珍しいな、真田が女の子に興味示すなんて」

 女じゃないがな。津久野の言葉にそう思ったが鼻を鳴らすだけに留める。騙して参加させたという負い目からかそれ以上は何も言われなかった。俺のテニスの経歴は良い釣り餌になるらしく時々こうして呼び出される。今回に限っては俺と同じかそれ以上の経歴の持ち主が相手方に並んでいるのだが。

 テーブルの上に酒が並べられる。普段は甘くない酒を好むはずの幸村は「かしおれ」なる酒を注文していた。幸村に似合う色味の酒だ。普段ジョッキを片手で持つ幸村が両手でグラスを持っている。その姿はなかなか可愛らしい。あざといと言うのだといつか仁王あたりが言っていたか。言葉としては誤用のような気もするがそういうものは時代で変化するのだからいちいち気にしていてはいけない、オジサンと呼ばれてしまうぞと親友からも言われている。

 

「かんぱーい」

 幸村は完全に溶け込んでいた。女達と一緒に甘い酒飲んできゃっきゃと喜んでいた。もともと友人なのだろう。同じ立海大だが別の学部である幸村にも俺に津久野という困った友人がいるようにテニスとは関係ない友人がいる。

 物ごしの柔らかい幸村が押しの強い女共に囲まれて女装させられてしまうのは想像に易い。おそらく幸村本人も乗り気であったのだろう。本当に嫌だったら逃げ切れる男だ。そこでどういう意図があって合コンに来るに至ったかは不明だが。

 乾杯が終わったところで自己紹介が始まった。友人達が順番に名前と趣味などを話している。

「真田弦一郎。趣味は……将棋だ」

 俺も倣って自己紹介をした。以前トレーニングと言ったら「体格いいですもんね」「スポーツとかもしてるんですか?」とかなり食いつかれてしまったのであまり興味がないであろうものを話した。だというのに。

「えー、渋〜い! 誰と挿してるんですか?」

 お前だ。昨日も付き合ってもらったところだ。そう言いたいのを我慢して「恋人」と答えようとしたら幸村の温度がぐんと下がった。どうやらこの茶番に付き合えということらしい。

「主に友人だ」

 俺が言うと満足そうな笑みが返ってきた。女同士(ではないが)で楽しそうにしている。

 自己紹介が幸村の順番になった。

「幸せの村に精神統一の精、神の子の子でユキムラセイコです♡ 趣味はテニスです♡」

 精子。

 そんな名前の女がいてたまるか。いや、いるかもしれんが。親御さんにも役所にも一度考え直してもらいたい。友人たちは何も気にせず「セイコちゃんか〜」とデレデレしている。幸村ほどの美人になると脳細胞の活動を麻痺させるらしい。気持ちはわからなくないがもう少ししっかりしてほしい。

 幼い頃から幸村を見て育ったせいか俺はかなり面食いらしいのだが、幸村の友人達もそれぞれ可愛らしい顔立ちをしている。俺の友人達は全員に対してみっともないくらい鼻の下を伸ばしている。それ以上幸村を見るな。友人達を見る目が自然と厳しいものになってしまう。

 俺の視線に気付くことなく津久野がへらへらと言った。

「セイコちゃんってテニスが趣味なんだ〜? じゃあやっぱ今日は真田目当て? 真田がプロなのは知ってるよね?」

 当然知られとるわ!

 なんならセイコちゃんとやらの方がランキング上位だ。手塚にも跡部にも越前にも負ける気はしないが幸村にだけは勝てないのだ。

 あとたぶん幸村にとってテニスは趣味にとどまるものではない。俺にとっても。つまり、俺にテニスの話をさせようという魂胆が透けて見える。

 幸村ははにかんで頷いた。……うむ、かわいい。

「……今度打ち合うか?」

「いいね。あ、でもふたりきりだと緊張しちゃうから友達も連れていっていいかな? 蓮子ちゃんって言うんだけど」

「では俺も後輩を誘おう」

 幸村とテニスの予定ができたことが単純に楽しみだ。蓮二と三人でもいいがこの流れならば男がもう一人いた方が自然だろうと赤也を巻き込むことにする。

「真田が次の約束するとこ初めて見た。セイコちゃん、すごいねえ」

「ユキちゃん、よかったねえ」

「うん。すごく楽しみだよ」

 津久野の言葉に幸村の友人が便乗する。幸村は嬉しそうに頷いているが友人達にどう話しているのだろうか。俺のことを話すこともあるのだろうか。

 俺が来ると知っていて女装して現れたというなら普段から話しているからこそ誘われたということも有り得る。普段は互いの大学生活には口出ししないようにしているが気になってきてしまった。

 俺の気持ちを知ってか知らずか、おそらく知っているんだろう。幸村はちらちらこちらを見ながら友人とひそひそ話している。

 そのうち連れあって化粧直しに行ってしまった。……幸村は同じトイレに入れないはずだがそこも気にしてはいけないのだろう。

 女達がいなくなったことで津久野が肘で小突いてきた。

「おいおい真田あ〜! お前もセイコちゃん結構イイと思ってんだろ? 絶対イケるって!」

 否定して「じゃあ自分が狙う」と言われても困るので曖昧に頷く。津久野は声を潜めると「俺はセイコちゃんの横のキイちゃん狙いだから狙うなよまじで!」と釘を刺してくる。俺が幸村以外を狙うことはないのでそこはしっかりと肯定させてもらった。

 戻ってきた幸村は俺の横に来た。

「ここにいてもいい?」

「勿論だ」

 俺は頷く。津久野はチャンスを察してキイちゃんとやらの方へと行ったようだ。

 幸村に尋ねたいことはたくさんあるがまずは幸村の出方を伺う。

「真田くん、こういうところあんまり来ないよね。今日はどうしたの?」

 真田、飲み会とは聞いていたが合コンとは聞いてないよ。という副音声が聞こえる。気がする。これが素直に嫉妬からくる言葉なら嬉しかったがそうではないことを知っているのでどうしても顔が引き攣る。

「……飲み会だと聞いていた。ただ……」

 幸村の顔を見る。やはり美しい。

「幸村…さん、がいると知っていれば迷わず来ていただろうな」

「……ふふ。意外に口が上手いんだ?」

「本心だ」

 幸村の頬がほんのりと色付くのが化粧越しでも解る。ここが自宅ならすぐに寝所に誘っていたところであるが居酒屋では叶わない。幸村がグラスに口を付ける。グラスに桃色の口紅が残っているのがたまらん。

 ……いかん、思考がおかしな方向に進んでいる。ごまかすように酒を口に運ぶ。

 幸村は上機嫌に笑っている。口元に手を遣る笑い方は幸村本来のものだが上品な仕草は今の姿にも合っている。

 この合コンは少なくともあと一時間は続くだろう。もしかしたら二次会などもあるかもしれない。

 俺は友人達に目配せする。津久野と目が合う。そして頷いた。

「幸村さん。少しいいか?」

「ん?」

 幸村の手を掴んで立ち上がる。幸村の友人達が「きゃあ」と弾んだ声を上げた。

 自分と幸村の荷物を手にする。津久野が親指を立てている。金は立て替えておいてくれるだろう。

 幸村の手を引きずんずんと進む。店を出たところで幸村が立ち止まった。

「さ、真田?」

「『幸村さん』、このまま俺と抜け出そう」

 腕は掴んだまま振り返る。

「一人や二人、お持ち帰りしても良いと恋人から許可を得ているのでな。俺の家に来てくれ」

「……そんな誘い方、不合格だよ」

 どうやらお気に召さなかったらしい。だが機嫌は悪くないことが頬を膨らませたわざとらしい表情から見て取れる。本当に不機嫌な時はこのような顔はしてくれないのだ。

「では誘い方を変えよう」

 俺は幸村の手首から手を滑らせて指を絡めるように手を握った。外で手を繋ぐなど滅多にしないが背に腹は変えられない。

「帰ろう、幸村。素顔のお前を暴きたい」

 この誘い文句はお気に召したらしい。

 俺は今日、初めて合コンで美女をお持ち帰りした。持ち帰り先は二人で同棲している家だが。

 

 特に意識して動いていたわけではないらしい。しかし、大学生になって世界が広がった幸村は、気付けばテニスに明るくない友人達に囲まれていた。幸村は「プロテニスプレイヤーの幸村精市」と気付かれることなく周囲に溶け込んだ。

 状況が微かに動いたのは真田だけが出た大会の結果を確認していたときだ。

「ユキちゃん、もしかしてその人がタイプなの?」

 女友達にそう言われたのは。恋人であるのにそれを否定するわけにもいかず、かといって肯定するほども彼女達を信頼していたわけでもない。どう答えたものか困っていたら彼女たちは「やっぱりそうなんだー」「だから私たちに興味なかったんだね」と勝手に納得されてしまった。

「その『真田プロ』ってうちの大学らしーよ。なんか中学からずっと立海なんだって」

「え。じゃあユキちゃんチャンスあるじゃん」

「合コンセッティングしよーよ」

「アッチの学部に友達いるから任せて」

 そして勝手に話が進んだ。

「ユキちゃん美人だからそのままでもいいでしょ」

「えー、せっかくだから女装しようよー。その方が楽しいでしょ」

 女装はノリであったらしい。楽しさというものに思うところがあるから便乗してしまったとのことだが俺の反応を見て「やってみてよかった」と話していた。

 今後は「男であることには最初から気づかれていた」「だが付き合うことになった」と説明するらしい。

「だが女装はもうよせ。他の男に惚れられてはかなわん」

「俺がお前以外に惚れる予定ないけれど」

 それならまあ、二人きりの時なら着てもらうのも良いかもしれない。しかし。

 俺の隣に化粧もかつらも落とした幸村が少し気だるげに寝そべっている。

「やはりそのままのお前が一番美しいな」

 俺の言葉に幸村は先程と同じく、口元に手を当てて上品に微笑んだ。

「やっぱり、意外に口が上手いよね」