常勝、立海大附属中学の練習はとてもハードだ。どのくらいハードかというととある部員が別の学校に行った友人にぽろっと練習内容を漏らしたところ「それお前だけいじめられてるとかじゃないよな……?」と本気で心配されたほどだ。全員同じメニューをこなしていることを伝えたら目を白黒させていた。そんな練習をレギュラー陣はほとんど顔色を変えずに淡々とこなす。部長である幸村はとくに顕著で、疲れている姿を見せることはなかった。
「幸村、——大丈夫か?」
だから。忘れ物に気付いて部室に戻った赤也は耳に届いた言葉を疑った。部室に残っているのは部長である幸村と副部長の真田だけである。幼馴染だという二人はいつだって言葉少ない。幸村がふっと息を吐く。赤也からはその表情は見えないが苦笑しているのかもしれない。
「敵わないな、お前には。……少しね」
疲れている、かもしれない。
続いた言葉はまったく予想しないものだった。誰より涼しい顔をしていたと思っていたのに。それを部員には見せない幸村にも、気付く真田にも感心したが。その感心した気持ちはその後の言葉で吹き飛んだ。
「ねえ、真田。少し椅子になってくれないか?」
椅子?
えっ、椅子?
「で。動揺して折角取りに戻った忘れ物をそのまま置いて帰ってきて」
「課題ができずに今日廊下に立たされていたと」
「お、俺だって好きで忘れたわけじゃねえってのに……」
先輩達に笑われて赤也は唇を尖らせる。
尚、廊下に立たされていたのは授業中であり本来なら知られるはずはなかったのだが、運悪く授業をさぼっていた仁王に見られていたのだった。もちろん仁王もその点について柳生から充分に絞られている。
「でも少し前の赤也だったらそこで部室につっこんでたんじゃないか?『ブチョー、フクブチョー! 椅子って何なんスかァ〜』って」
「おっ、たしかに! 成長したなあ赤也」
「ええっ、さすがにそれは……!」
などといいつつもみんなから和やかに拍手をされて満更でもなさそうだ。みんな幸村と真田の問題から目を逸らしているともいえる。
椅子。拍手をしながらもレギュラーたちの頭からその単語が離れない。椅子。椅子とは。
真田が四つん這いになる。その上に幸村(なぜかボンテージ姿)が腰を下ろす。勿論その手には鞭だ。ぱし、ぱし、とそれを自分の掌に軽く打ち付けている。表情はどこか恍惚としていて。赤い舌が薄い唇の隙間から覗くのだった。
「……いや、似合いすぎだろぃ」
呟きに全員が頷いた。全員同じものを想像している訳はないのだがシンクロにも似た奇妙な感覚がそこにはあった。それは集団幻覚ともいう。
「うーん、副部長がちょっと嬉しそうなのがイヤなんすケド……」
自分で勝手に想像しておいて文句をいうのはお門違いなのだが誰も注意するものはいない。
やれやれ。柳は他の面々から気付かれぬように首を振った。
柳は知っている。幸村のいう『椅子になって』がみなが想像しているものではないことを。
あの二人がその戯れをするのは初めてではない。
柳が最初に見かけたのは例の、病室でのことだ。
無機質な部屋に二人。ベッドの端に腰掛けた真田の脚の間に、時には膝の上に幸村が腰を掛ける。それが二人の言う椅子だった。幸村は背もたれである真田の胸に凭れかかったり擦り寄ったりしてその座りごこちを堪能する。
尚、赤也が言った「真田が嬉しそう」なのは正解である。「ちょっと嫌」という感想も柳が抱いたものと同じだ。
「幼馴染でSMか……あの二人も奥が深いぜよ」
「加虐被虐性愛は貴族の嗜みとも言いますからね」
知ったように柳生がいうが絶対に面白がっているだけである。
正解を知っている柳だがそれを敢えて口に出すことはしない。柳も知らないことになっているからである。あれは互いに想いを口にできない、二人だけの戯れなのだ。口を出すのは無粋だろう。結局のところ柳だって面白がっている。
あの二人が互いの想いを咲かせたならいつかこんな笑い話があったと伝えたい、などと密かに考えるのだ。